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八木沢に居る僧侶です。徒然なるままに(*^_^*)

40過ぎて秋田を離れ独り京都大阪へ。僧侶となり、八木沢へAターンした男のつぶやき。

「学ぶ」の語源は「真似ぶ」・・・ん?昔、教わった気がする・・・・。

私は「真似」が大嫌いでした。

 学校もあるし、仕方ないから「学ぶ」ことしていました。

人から「教わる」「指導を受ける」というのも嫌でした。

 

人間失格でしょうか?

 

 でも親のせいにはしません。

親から言われるのも嫌だったんですがから(笑)

 

 でも、すべて阿弥陀様よりいただいた「いのち」のなかの

一部分なんです。それも受け止めなければならなかったんです。

 

 自覚もなく、何もなく、それが俺なんだと生きてきて

結局、何度かの失望、破綻がありました。

 

 己のせいと思いながら

あいつのせいだ

 このとき、こうしなかったからだ

の繰り返し。

 トラブルばかりの、なんて不幸な人生なんだ・・・・・・

生きていたいなんて 思うわけもありませんでした。

 

でも・・・・・・・・・・

僧侶になりなさい

京都に生きなさい

そこから、変わりました。

 

 親の菩提寺、ご縁のあった御住職の言うことを

素直に聞いたのです、私が(笑)

 

 まあ、その時はそれしかなかったのかな?と思います。

追い詰められていましたから・・・・

いや、追い詰めていた?自分で自部を?ですかね?

 

 先にも言いましたけど

大谷専修学院

大阪茨木市真宗大谷派寺院

合わせて約7年、関西で生活してきました。

 

これこそ

私にとっての人生最大の「教え」「学び」

だったのでは?と思います。

 

そして「今」があります。

 

ところで、なぜ「学ぶ」

     「真似ぶ」の見出しなのか?

 

 それはロータリー除雪機を操作しながら前々から感じていたことなんです。

 

30年以上前になりますが

 

亡父は機械や車が大好きで

たぶん、農機具や除雪機械の販売のようなことも手掛けていたのかもしれません。

当時、まだ一般的でなかったロータリー除雪機を購入し、使用していたこと記憶に在ります。

 

興味はあれども、父ほどまで私は機械好きにはなれませんでしたね(笑)

 

ここから大きく省きますがwww

 

その後、私は除雪に関し

フォークリフト

 

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ホイールローダー

 

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では作業経験したんですが

 

現在の八木沢でのトラクター、ロータリー除雪機での作業は素人でした。

さすがに雪国秋田育ちなので、触れたことないわけではありませんが。

 

トラクターも農家ではなかったですが、

農業資材関連の商売、勤務も長かったし

母校 秋田県立農業短大で運転だけは練習させられましたから。

 

 ロータリー除雪機は営業先の農家さん、幼い記憶、

あとは、元妻の姑父さんがそちら関連の会社に勤めていて

中古の除雪機頂いたことありました。

 

その時はうまく操作できず返納してしまいましたw

 

明らかに自己中心的な私の責任でした。

 

 使用方法もロクに聞かず・・・・勝手なことばかりしてました。

そう・・・・ずっとでした(笑)

 

 ロータリー除雪機は、この集落の人たちで、個々に所有されている方が

何人かいらっしゃいます。

 

 とにかく、見て聞いて、試して、真似て、・・・・・・

それで「今」積み上がった雪でも崩さずにそのまま飛ばせる

技を(まあ・・・普通のことでしょうがw)身に付けました。

 

 トラクターは、フォークリフトや、ローダーに近いので

なんとかできました。

 

でも、これも、聞いて、真似て・・・・「今」となっています。

 

それから「独自」のものをうみだしたらいいんだ!と気付きました。

 

 真似もできないようなら「独自」も生まれない

真似も出来なきゃ才能ないんだから諦めるか

好きなら、徹底して苦労して習得するしかない。

 

残念ながら、苦労も努力も嫌いなのは、いまだに改善されていません(笑)

 

苦労というより「ずっと苦しかった」という表現が過去の時分には適切ですね。

 

今は、苦しくも、つらくも、嫌でもありません。

これで良かったのだと思います。

 

では、本題へ戻りますね。

 

ただ真似するだけでは単なるコピー。それをどう自分のものにしていくか、その過程の中で個性が生まれてくるのです。

http://snowa.blog.jp/archives/62075242.html

snowa.blog.jp

 

これを強く感じました。

 

私は人に言われるのは嫌いです

でも、会話するのは好きです。

心配されて声をかけてくれるのは有り難いですし

素直に聞きます。

でも、相手の観点から自分を非難・否定・追求

されるのは、言うのも言われるのも嫌です。

時には我慢も必要でしょう・・・・

でも、そういうのは いずれ離れ

またつながるのです。

生きるとはそのくりかえしなんです。

 

 次々に関わるご縁、人が うつり変わるのではなく

同じご縁の中でも、常に

新しい出逢い、巡り合わせがあるんです。

 

ただし、大事なご縁は離れてもまたすぐに近づきます。

一時的な御縁は、離れたまま過去となります。

 

「転職」、「関西」という経験のある私は

人並み以上に御縁があったかと思います。

 

でも今「こころ」のなかにある過去からの御縁

今「ここ」にある大事なご縁

これから「出逢う」であろう大切なご縁

 

どんなキッカケで出逢うことになろうとも

 

受け入れ、大事にできたらいいなあと感じています。

 

先のわからぬ「いのち」は「オリジナル」なんですから。

 

徒然なるままに。

 

♪♪摩天楼飛び越えて

 遥かな時間の国へと

 君を呼んでるのさ

 夢より遠い世界♪♪

 

 

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